さて、今の場所(調布市深大寺の市場2階)にアトリエを構え、子どもたちが通える教室を始めて、かれこれ6年半にもなりますが、今更ですが、こうした教室を始めるきっかけについて少し書いて見たいと思います。
「美術!」な世界にどっぷりし始めたのは18歳ぐらいでしょうか。高校3年の夏、美術予備校に通い始めてからです。高校3年生の夏というのはすごく遅いですよね。しかもその時は迷っているから試しに夏期講習だけ行ってみる。という安易な考えで行ったのでした。
というのも、高校2年の夏から高校3年の夏まで1年間アメリカに留学していたので、帰って来ていきなり「進路選択」ということが、迫って来たという感じでした。
予備校に行ってデッサンをして、途端にハマりました。今、考えるとただ盲目的にデッサンを描かされても楽しめるものなんだなと冷静に思いますが、その時は絵を描くことがともかく楽しかった。自分では上手く描けたと思ったものが評価されないことも新しい視点を得られるような感覚で刺激的でした。
1年浪人して多摩美工芸金属専攻へ、ここでは金属による作品制作、加工技術を教わり、銅や鉄などをバンバン叩いて日々過ごしていました。素材に触れて、素材がイメージした形になっていくことの喜びは何にも変えがたく、夢中であっという間の4年間でした。大学時代は同時に教職免許取得が親から義務のように言われていたので、履修科目単位取得のためたくさんの講義を受けていました。制作中は本当に、たくさんある講義時間がもどかしく、教職免許取得を辞めたいなあとも思うことも。それでも様々な出会いがあるもので、教職課程で出会った恩師や友人らの影響から、教職課程の面白さを知り、大学院で私を「美術教育」という分野に進ませました。
[卒業制作: 「Neo IT」 2004]
東京芸大大学院にある「美術教育研究室」、美術教育のこと、それから作品制作のことと両輪で研究活動をするという私にはうってつけというような研究室に行くことになりました。
さて、その研究室でようやくこのブログのタイトルにある「レッジョ・エミリア」のとこを知ります。知った当時はその特異性が理解ができてなく、何やらイタリアに注目されている教育があるんだな?ぐらいの感覚でした。
その後、ずっと気になっていて2011年ワタリウム美術館で開催された「驚くべき学びの世界」展に足を運び、そこで衝撃を受けたのでした。子どもたちの作品がとってもて素敵で、感動しました。もちろん、子どもの教育はその「プロセスが大事」と今もずっと思っています。それでもまずは作品そのものに引き込まれました。
幼児教育における美術と言えばグリグリ〜と描く「スクリブル」(いわゆる「なぐり描き」なんとも残念な日本語ですが、、)から始まり、顔に手足が出ている「頭足人」を描いて、という発達段階とその描き方などで紹介されることが多いわけです。そういった発達段階云々ということで分類するということではなく、そこに展示されている作品は、ありとあらゆる素材を使って、子どもたちの気持ちそのものが表現されていたのです。画用紙にクレヨンや絵の具といった、おきまりの画材だけでなく、葉っぱや土、鏡、光、音までも素材になっていました。「美術」として考えられる枠をはるかにこえながらも、身近な素材との関わりから生まれているもので、身体と世界の現象との出会いそのものが作品化していました。いやいや、作品という仰々しいものでもなく、息づかい、人間の表現欲求そのものが自然体で引き出されているようなものたちが紹介されていました。
では、その「レッジョ・エミリア」って一体なんなの、についての紹介はまた次回、詳しくしていくとして、この最後にはレッジョエミリアの幼児教育の創始者ローリス・マラグッツィの言葉をこちらに
「でも、100はある」
子どもには
100通りある。
子どもには
100の言葉
100の手
100の考え
100の考え方
遊び方や話し方
100いつでも100の
聞き方
驚き方、愛し方
歌ったり、理解するのに
100の喜び
発見するのに
100の世界
夢みるのに
100の世界がある。
子どもには
100の言葉がある
(それからもっともっともっともっと)
けれど99は奪われる。
学校や文化が
頭と体をバラバラにする。
そして子どもに言う
手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい
話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい
愛したり驚いたりは
復活祭とクリスマスだけ。
そして子どもに言う
目の前にある世界を発見しなさい
そして100のうち
99を奪ってしまう。
そして子どもに言う
遊びと仕事
現実と空想
科学と想像
空と大地
道理と夢は
一緒にならないものだと
つまり
100なんかないと言う。
子どもは言う
でも、100はある。
初めは、ピンとこなかった私ですが、じわりじわり、子どもたちと大人との関わりの中で過ごすうちに、「あ〜なるほど」と思うようになった。
そうそう、100はある。
続く
[参考文献]レッジョ・エミリアの幼児教育実践記録「子どもたちの100の言葉」レッジョチルドレン著:日東書院
コメント