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山田はるこ

子どもたちと細く長く

アトリエを開設してかれこれ10年になります。たくさんのお子さんと出会ってきました。

1~2年でお別れをする子もいますし、7~8年になる子。

開設当時から10年ず〜っと通ってくれている子。途中引っ越しをして、また戻ってきてくれた子。様々ですが、今年は長く通ってくれていた子で中学に上がる、または高学年で塾が忙しくなるなど比較的お別れとなる子が多くいました。お別れはいつでも寂しさがつきまとうけれど、それぞれの成長を嬉しくも感じます。


幼児期から見ていて、6年生になったり、小学生からきていて、高校生になっていたり、めざましく成長する時期に長期に渡って様子を見させてもらう子もいます。

幼児期、小学校低学年、中学年、高学年、中学生、高校生、、


ともかく「にこにこ」の幼児から低学年の子達、「みて、みて〜!」とだいたいいつも積極的、作品もオリジナルが爆発してアーティスト顔負けです。中学年頃にちょっと「ですます」調に変化してきて、急な変化にこちらも「お!」敬語だ!と思ったり。作品もちょっと流行なども意識したモノになってくる子も多くいます。おしゃべりだったのに、高学年になって急にわずかしか言葉を発しなくなる男子。ふざけてばっかりだったのに、急にしっかりしてくる男子。作品も悩みに悩んで手が動かなかったり、技法の追求にのめり込んだり。求める完成度がとても上がってきたり。体つきが変わったり、私の身長を超されたりすることもでてきます。恋愛トークに花を咲かせる女子。本当に年月の経過と共に、たくさんの変化、成長を感じます。また、制作を通じて、それぞれの子、それぞれの年齢での興味関心の変化、制作プロセスの変化も感じます。


開設当初は、入会して通ってきてくれる子がその先何年ぐらい継続して通ってきてくれるのかなんて、わからなかったし、考えてもいませんでしたが、最近はその関わり方の面白さをとても感じています。


というのも、学校の先生であれば、毎日顔を合わせる担任の先生は1年か2年で切り替わっていきます。そして、一クラス30~40名近く子どもがいる環境。あくまで子どもたちは集団生活の中でのこの子、あの子として、認識され、集団生活を送る上で困りごと(先生にとっても、こどもにとっても)がなるべく起こらないように過ごす術を身に付けてくれるのだと思います。近年メディアでは旧態依然とした学校のカリキュラムや体制に対しての批判が頻繁にあるようですが、私自身は学校(小中公立校の教壇に立ったことはありませんが、、)も習い事も経験した上で、とても大事な学びの場だと考えています。色々な場で子どもたちと造形をやっていても、少人数と大人数の時とでは、雰囲気も違って、なんでも少人数個別最適というのが良いともいえないと感じています。大人数だからこそ熱気にあふれる空間になったり、他の人の姿をみてやる気が出たり、工夫が出来るということもあります。集団の力というのも大きな力です。


いっぽうで、アトリエは成績もないし、こなければいけない場所では当然ありません。来たいと思えばくればよいし、来たくないと思えばやめればいい。引っ越しやご家庭の事情で本人が決められない場合も時にはあるけれど、基本的には本人の意思にゆだねられていると思っています。


 アトリエは、月に3回または月に1回、1時間~2時間といったほんの少しの時間を過ごす場所です。それでも毎回5~8名程度の少人数で実施する事、またそれぞれ自分の「好き」が作品作りの中で出てくるので、どんなことに関心があるのか、どんなことが気になるのかがよくわかります。制作の様子を見ることを通じて、おそらく本人以上に本人の関心のありどころや特徴がよく見えてきます。

 手を動かして行くプロセスをただ見ているのも楽しいひとときですが、制作中に色々おしゃべりをすることもあります。制作している時には色々なステップがあり、自由制作に取り組む時を例に、そのプロセスを簡単に3段階に分けてみると、次のような感じになります。


1.アイディアを練りだしていくとき。

この時は、黙々と考えたり、本や図鑑を見て考える子も、色々手を動かして実験して進めていく子もいます。グループ制作の時は少しテーマを絞って話し合いをします。


2.作るものが決まって、頭の中にある程度プランができ、それに向けて手を動かして行くとき。

例えば、画用紙のここの部分はひたすら水色に塗る!とか、編み機でぐるぐるハンドルを回して編む!木のブロックをこの高さまで積み上げるなど、一定のリズムで行為を反復させる作業に入るときがあります。

この時は、比較的皆何となく色々な日常のことなどおしゃべりをしながら進めていくことが多くあります。


3.終わりの時間を意識してツメの作業をしたり、ぐっとまた集中力を高めて制作するとき。

この時はだいたいしーんと静まりかえって、心地の良い静かな熱気があふれる空間になります。


どの時間も何か作ろうとしている人と過ごすのは楽しいものです。

そして、2番の時なんかは学校のことやゲームのことなど色々な話が出てきますが、

3~4年生ぐらいになる子どもたちから良く聞かれる質問があります。


こども:「先生どうしてここのアトリエやってるの?」

私:「なにか作るのが好きだし、子どもも好きだから」

こども:「ふ〜ん」


会話はそれ以上続く事はほとんどなくて、あっという間に終わる会話です。

幼児や、低学年の子が多かったアトリエ開設当時にはほとんど聞かれることがなかった質問ですが、ここ数年だんだんと子どもたちが大きくなって、全体の平均年齢が上がってきてから特に聞かれる機会が増えてきました。


ふと、そこにいる大人の存在をなにか職業とか仕事とかそういった枠組みで意識するようになったということなのだろうと思うんですが、身近に接する人の立場を考えることも大きな成長の様に感じられます。

きっと他にも身近に接する大人の人には聞いているのだろうと思いますが、考えてみると子どもが接することの出来る大人というのも限られているものだよなあと思います。


親、学校の先生、学童の先生、習い事の先生、きっとそのぐらいですね。

地域で、経済が回ってコミュニティーがしっかりとあった頃(60年代頃まで??)であれば、近所の八百屋、ペンキ屋、大工さんとか色々なお仕事をしてる大人を身近に見ることができただろうと思います。

かく言う私も、80年代のニュータウン育ちなので、今のように両親共働きは少なかったのでお母さん達で作る地域コミュニティーはありましたが、身近に働いている大人達がいる環境ではありませんでした。お父さん達は皆外に働きに出ていましたので、近所で商いをしていて経済の循環がこどもなりに何となく見えるような所ではありませんでした。


アトリエでは子どもたちがお月謝を直接渡してくれることもあるので、だんだんとその金額も意識する子はしているようです。子どもにとってはなかなかの大金です。

「お月謝みんなからもらって。先生、大金持ちでしょう!」「フェラーリのってたりして!」なんて言われることもあります。フェラーリなんて論外にほど遠い。。(笑)そんな時にはきちんと「ここの場所代、電気、水道、みんなの材料費、だいぶなくなっちゃうよ」と実際の経費のことを伝えます。


私が子どもの頃はそんなやりとりをする大人はいなかったなあと思う、習い事はしていたからそういったことを考えるチャンスはあったのかもしないけれど、ピアノ(個人レッスン)と習字(多人数であまり会話をするような環境では無かったからか)の中で考えもしなかったことでした。


今、学校でも、家庭でもない第3の場所?という場で子どもたちと関わることの面白さを感じています。それに、造形教室。これがまた良いのです。みんなに自分を発揮してもらう場で、成績のように良い悪いの数字も出てきません。特に小学生になるととたんに競争の世界に飲み込まれるように外的な評価の中で自分を見なければならないことが増えてきます。勉強できる子出来ない子、スポーツが出来る子出来ない子、いろいろな物差しで測られる事が多くなります。

その点、造形表現では競争しようがない。競争が成り立たない感じが本当に気持ちよいとかんじてます。大人の世界では誰が一番稼いでるアーティストかとかそんな物差しを持ち出すこともできるけれど、そんなつまらないことに関心を向けていたら、面白いモノも何も出来ません。教室の中でも、上手いヘタをやたらに強調して、順序をつけようとする子も出てきたりはしますが、そういった評価は成り立たないことを伝えています。

いろんな子がいてへんてこなモノができあがってきても、みんなでなんだこりゃと楽しんでいきたい。そんな場であれることを目指しています。


ところが、しっかり取り組んでいる子に「へんなの〜」と自分は何も作らずに他人の制作にケチをつけたりバカにするようなことを言う子も時にはいます。高学年になってくるとこうして牽制みたいなこともするのだなあと、こども同士のコミュニケーションを観察しつつ、「人の作ってるモノに口出ししてないで、自分の作りなさい」とまずは「作る」という同じ土俵に立たせるようにします。それでも、作り出さずにぶらぶらしている場合もあります。外的な評価が気になるからこそ作ることの大変さもすでに感じ始める年頃なのでしょう。

毎年作品展前の自由制作では、高学年になるほど、何を作るか相当に悩んでいます。そこそこに技術も付いてきているからこそ、ヘタなモノを作りたくないというプライドが足かせとなるのかもしれません。上手く進まなそうな所で、急にあきらめたりすることなどもでてきます。


何を作るか迷うときには、「好きなもの」をきっかけにアイディアが湧くよう声かけをしていきます。ホラーが好き、といえばゾンビみたいなモノや凶器を造形してみることを勧めることもあります。そんな時には「大人がそんなこと言っちゃいけないんだよ」とこどもたちから注意されることもあります。「ホラー映画だって、美術さんが一生懸命死体とか作るんだから。怖いと感じるし。みんな本気で作るから面白いモノができてるんじゃないのか。」と当たり前のことを伝えて、とことんやってもらいたいと思っていることが伝わればよいかなと思っています。

いろんなやりとりをして、また本人がぐっと気合いを入れるとなんだかんだでうまく制作が進む場合もあれば、必ずしもそうもいかないこともあります。


地域の習い事のアトリエで、子どもたちが作ることのサポートをしていると、色々な事が起こってきます。ここでの経験で子どもたちには何が残っていくのかわかりませんが、ひとまずいろんな素材に触れること、何か作ることの楽しさや大変さを感じる場所、作ったモノで人と関わり合うことができたら何よりだと思います。



今月制作している「春のぼうし」制作途中。


今月取り組んでいる植物の叩き染め。







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